第三章 日本に帰って

 

就職

  日本に帰りましたが、もう大学も辞めて、僧侶も辞めています。とにかく、就職しなければと思いました。ちょうど、まだ景気も良かったときで、東京の神田にある印刷会社に就職できました。そして、会社の社宅の部屋が空いているという ことで、その社宅にも入ることができました。

 会社での仕事は営業でした。私の性格からして、営業は向かないとも考えましたが、もうそんなことも言っていられません。初めはただ一生懸命だったので感じませんでしたが、やがて、やはり会社という組織に入れば、自分が否定され、陰湿ないじめもされ、ストレスを感じることがいかに多いかということを知るようになりました。また、社内ばかりではなく、お客さんの前では、完全に服従した態度でなければなりませんし、工場の失敗も、お客さんの前では自分の失敗のように責任をとらなければならないなど、実際の社会の厳しさをひしひしと感じました。やはり私はお寺のお坊っちゃんで育ってきましたから、こんな経験は始めてで、特に会社で人から「バカヤロウ」などと言われた時は大変ショックを受けました。

 教会にも毎週通い始めました。韓国人礼拝もある東京の教会で、最初まず韓国人礼拝に出て、今までの証しをしたりして大変歓迎されました。そのうち、午前の日本人礼拝にも出るようになりました。 すぐその教会にもなじみましたが、韓国語の礼拝しか経験のない私にとって、日本語で祈ったり、聖歌を歌ったり、実の兄弟でない人を兄弟姉妹と呼んだりすることには、やはり初めのうちは戸惑いがありました。韓国では、もちろん韓国語で兄弟姉妹と呼んでおり、聖歌を歌っては喜びに満たされていましたが、やはり日本語では違和感がありました。

 住まいも手に入り、収入も安定してきたので、翌年、韓国で同じ教会に通っていた妻と結婚しました。妻はくよくよしない、さっぱりした性格なので、全く日本語ができない状態で日本に来たのにもかかわらず、さほどのストレスは感じていないようでした。また、教会に行けば、同じく日本に住んでいる多くの韓国の人たちと会うことができます。その点、慣れない日本の生活にも、特に問題はありませんでした。

 

召命

 次第に仕事にもなれ、結婚生活も安定してきました。私の心の中にも、平凡でいいから幸せな家庭を作っていきたい、という思いがありました。

 ある日のこと、会社で何となく聖書を開きました。

「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ一章一七節)

 私は「アッ」と思いました。幾度も読んだことのある御言葉でしたが、この時は違っていました。「主が私を呼んでいる。主は私に献身を求めておられる」と思いました。しかし、とっさに私はその聖書を閉じて、机の上の本立てにしまってしまいました。生活もやっと落ち着いて、これからは仕事に家庭に力を注ごうと私は思っていましたので、献身など考えたくもありませんでした。

 ところが、「わたしについて来なさい」という御言葉が、どこへ行ってもついて来るような、何か私が御言葉に追いかけられているような気がしてなりませんでした。何度も否定しようとするのですが、主は私を呼んでいる、という思いは消し去ることができませんでした。こうして最後には降参し、献身の道を進むことを決心しました。

 そして、新宿にある神学校に通うことになりました。その神学校は夜間で、仕事はしばらく印刷会社に勤めていましたが、その後、クリスチャン企業に勤め、神学校卒業と同時にすべての仕事をやめ、現在のように、巡回伝道と教会開拓の働きに付くことになりました。子どもも四人与えられました。